倉敷帆布 経緯の未来

目次

第五章 倉敷の産業と帆布  12/16

昭和時代

重工業系の企業活動が活発になるに従い、
合成繊維の出現は学生服の生産を急拡大させる。
東京オリンピックの前年には、
一千万着を超える史上最高の生産を達成した。

また、光輝畳縁も全国一の生産を誇るようになったこの頃、
全国からの集団就職の女子が児島地区の寄宿舎にあふれ、
街は活気にあふれた。

しかし、この頃をピークに学生服の需要が減少し、
児島の繊維業は再び岐路に立たされることになった。
老舗の紡績業、織物業が相次いで店を閉じ、
新しいものが望まれる時代となった。

消費の低迷、アジアからの輸入品の攻勢、
素材の多様化、好みの変化などにより、
服飾に関する考え方が大きく変化して、
量から質の時代へと変わっていった。

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倉敷帆布

経緯の未来

  • 第一章 倉敷帆布とは
  • 第二章 倉敷帆布の歴史
  • 第三章 倉敷帆布が出来るまで
  • 第四章 倉敷帆布を織りなす人々
  • 第五章 倉敷の産業と帆布
  • 第六章 倉敷帆布の未来

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